私は小学二年生の春から、今日に至るまで
ほぼ毎日、一日の出来事を作文にしている。
だいたい1ページ、多い日は数ページ。
理由はわからないが、日々のことや心の中を文章化することで、やっと何かが落着く性分のようだ。
きっかけは小2の担任、松尾あけみ先生に毎朝提出する「じゆうべんきょう」というノートだった。
私は松尾あけみ先生が大好きだった。
小2から現在に至る、なのでノートの数は超莫大な量!
読み返して興味深いのは、なんといっても
スタート期の小2のころ。
ピアノ、というお題の日の一部。
『わたしは、しょうらい、ピアノのさっきょくかになろうとしていました。(←なぜ過去形?)
それは、なんでかというと、ベートーベンという人がスキだからです。
その人の本も、もっているし、いつもねるまえ、かんがえています。(←え!そーやったん)
でもわたしは、さっきょくかには、なれないとおもいます。(既に小心者)』
そして松尾あけみ先生の赤ペンで
『どうして?がんばってみようよ』と。
ほんと、小2の私に言ってあげたい。
「一応、なったよ」と。よろこぶかな!
次の日のページは
『すごす』(たぶん国語で習いたて)を使用して文を作ってみようコーナー。
『やくざにさそわれ ドカンの中ですごす人もいます。』
『ちょうちょを見たとき、やねの上ですごしてました。』
なにこれ、すごい!!
私という人間の二極化的な資質を既に顕していると思う。
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